Note

価値判断の源泉——事実認識と感情から

「権利」のような価値ある概念は自然界に最初から存在するものではなく、人間が作った概念であるという立場から、その概念の重要性を支えるものを整理するメモです。

  • 世界観
  • 価値判断
  • 事実認識
  • 感情
  • 人権

前の記事 道徳と倫理の区別 で、社会視点の道徳と個人視点の倫理を区別しました。本記事では、道徳の絶対性が外れたあと、何を根拠に価値判断を成立させるかを整理します。出発点として、「権利」の例を扱います。

「権利」は自然界に最初から存在するか

「人間が法律や制度を作る以前から、人間に生まれながらに備わっている権利がある」という考え方を自然権と呼びます。本記事の立場では、自然権の存在には説得力を感じていません。

  • 「権利」は物理的な存在ではなく、人間が言語的な思考によって創造した概念である
  • 基本的人権もその例外ではなく、人間の文化としての道徳規範の一種である
  • 概念は人間の思考の材料であり、かつ人間の思考によって生み出されるもの

「権利は人間が作ったものにすぎない」という言い方をすると、権利を軽視しているように響くかもしれません。一方で、「権利は人間が作った概念である」ことと「その概念が重要であること」は両立可能です。本記事で否定したいのは「権利は自然界に最初から存在する」という存在論的な主張であり、権利の重要性ではありません。

では、人間が作った概念である権利の重要性は何によって支えられるのか。これが次の論点になります。

価値判断の源泉:事実認識と感情の組み合わせ

私にとって納得できる価値判断の源泉は、「論理的に説得力のある事実認識に基づく感情」です。

人権の例で具体的に整理します。「すべての人は大切に扱われる権利を持つ」という主張に説得力を感じる根拠は、自然権ではなく、個人の感情(欲求を含む心理)にあると考えます。

  • 自分は他者に大切に扱われたいし、大切に扱われると嬉しい
  • 自分は他者に大切に扱われないと、悲しみや怒りを感じる
  • 大切に扱われていない他者を見ると、その人を可哀想に思い、大切に扱わない人に怒りを感じる

こうした感情の生起パターンは私だけのものではなく、他者にも広く一般的に観察されるものです。「大切に扱われたい」「大切に扱われないと苦しい」という感情は、人間の生物学的な共通性に根ざしており、多くの人に共有されています。この広い共有性が、「すべての人は大切に扱われるべきだ」という規範が多くの人に納得されやすい理由になります。

感情がそのまま価値判断の根拠になるわけではない

「感情が源泉である」と言うとき、あらゆる感情がそのまま正当な価値判断の根拠になるわけではありません。

  • 感情は事実認識に基づいて生じるもの
  • 事実認識が後に訂正された場合、それに基づく感情も価値判断の根拠としての説得力を失いうる
  • 事実認識の変化に応じて価値判断が変化することは、本記事の立場では当然のこととして扱う

「論理的に説得力のある事実認識」と「その事実認識に対して生じる感情」の両方が揃ったとき、その価値判断に納得できる、という整理になります。

なお、「論理的かどうか」「説得力があるかどうか」の判断にも、最終的には「論理的直観」とでも表現できる感覚が関与しています。矛盾に対して不快感を覚えなければ、論理的整合性を追求する動機は生じません。

「直観」の位置づけ

「論理的直観」のほかに、知覚や感情や概念的直観も含めて、「それ以上の根拠を求めることが困難な感覚」を「直観」という言葉で扱います。

直観の種類
論理的直観矛盾への不快感、推論の妥当性の感覚
知覚的直観視覚・聴覚などからの直接的な情報
感情的直観「これは嫌だ」「これは嬉しい」という反応
概念的直観「独身者は結婚していない」のような言語の理解

これらの直観は、個人の都合・好み・気分による恣意的なコントロールができないという意味で半ば強制的な感覚です。直観に反する「嘘」を口にすることは可能ですが、直観自体を恣意的にコントロールすることは困難です。

具体例として分かりやすいのが錯覚です。ミュラーリヤー錯視のように、2 つの線の長さが異なって見える感覚は、錯覚であるという説明を聞いた後でも半ば強制的に感じる感覚です。

因果モデルの単純化

ここで述べた「事実認識 → 感情 → 価値判断」という流れは、現実の認知プロセスを完全に記述するものではなく、実践的な目的に照らして単純化したモデルです。

  • 実際には、感情が事実認識に影響を与える方向の因果も存在する
  • 現実世界の認知プロセスは「卵が先か鶏が先か」のように切れ目がない
  • それでもこのモデルを採用するのは、感情の発生を直接コントロールするのは難しい一方で、事実認識は意識的な思考によって比較的コントロールしやすいため

これは認知行動療法が「認知の修正」を介入ポイントに選ぶのと同じ発想です。自分の生き方を見直すという実践上の目的に対して適した、現実世界の理想化された姿として、このモデルを採用しています。

次の論点

事実認識と感情に基礎を置く価値判断は、どこまで強く支持できるのか。次の記事 可謬主義と「暫定的だが強い支持」 では、価値判断が暫定的でありながら強い支持として成立する構造を整理します。