Note
メインスキーマ:道徳原理主義
すべてのサブスキーマの根にあたるメインスキーマ「道徳原理主義」を整理し、人権の採用を経由する適応的再解釈を記述するメモです。
道徳原理主義は、本シリーズで扱うすべてのサブスキーマの根にあたるメインスキーマです。サブスキーマ群(嫌われ禁止・迷惑禁止・責任無限化・苦痛軽視・欲張り禁止・無力感)は、いずれもこのメインスキーマから派生したものとして整理されます。
自動思考の内容
道徳原理主義スキーマの自動思考は、次の形を取ります。
- 善くあらねば存在が許されない
- 道徳的に正しくあることが、自分が大切に扱われる条件である
ここでの「道徳」は、社会視点からの没個性的な善悪規範を指します(道徳と倫理の区別 参照)。このスキーマが発火している状態では、「道徳的に正しいかどうか」が自分の存在価値の判定軸として機能します。
不適応の理由
道徳原理主義スキーマが発火している状態では、複数の価値観が損なわれます。
| 損なわれる価値 | 損なわれ方 |
|---|---|
| 自在 | 常に道徳的審判の気配が伴うため、「義務も審判もなく自分のペースで動ける」状態が成立しない |
| 心の平穏 | 罪悪感回避が行動の出どころに固定され、穏やかに過ごすことができない |
| 蓄積 | 道徳的に安全な行動しか選択肢に載らなくなり、自分の判断で方向を決めて積み上げる活動が制限される |
行動の出どころが「罪悪感回避」に固定されることで、自分の価値観に基づく選択ではなく、道徳判定を恐れる反応が行動を駆動する構造になります。
適応的再解釈
メインスキーマに対する適応的再解釈は、「道徳的に正しくあること」を自分の価値判定軸から外し、「人権を持つ存在として自分を扱う」立場を採用する形を取ります。
- 私は人権を持つ
- たとえある人(私も含む)が道徳的に正しくない行為をしても、「その人(私も含む)には他者から大切に扱われるべき価値がある」という価値判断に変わりはない
- 道徳は絶対的な判決ではなく、他者と共存するための相対的な行動指針である
この再解釈の前提となる世界観は、道徳と倫理の区別 と 可謬主義と「暫定的だが強い支持」 で整理しています。
「人権」の採用経路
メインスキーマの適応的再解釈には「人権」という概念が登場します。ここで重要なのは、「人権を採用する」ことの根拠が、道徳原理主義の内部にとどまらない形になっていることです。
- 「人権は道徳的に正しいから受け入れる」では、道徳原理主義の枠内に留まってしまう
- 代わりに、「世界の事実を理解し、それに対して自分の感情が反応し、その感情を通じて自分が価値判断として納得した」という経路で人権を採用する
- 「他者の自律性の尊重」も同様の経路で納得している規範になる
この経路の詳細は 価値判断の源泉——事実認識と感情から で扱っています。
道徳の再採用と「相対的な正しさ」
メインスキーマの再解釈は、社会的な道徳規範を全否定するものではありません。
- 道徳を一度疑った上で、自分の個人的な「倫理的善さ」が社会で認められている「道徳的善さ」に一致する場合、その道徳規範を再採用する
- 再採用した道徳規範も「絶対的に正しいルール」ではなく「相対的な正しさ」に留まる
- 人権も他の価値ある規範によって制限されうる
結果的な行動が「道徳的に正しい行動」と一致することは多くありますが、行動の出どころが「社会的審判への服従」ではなく「自分の価値観に基づく選択」に変わる、という整理になります。
スキーマ再構築の作業について
自分のスキーマを列挙し、それぞれに対して「これは不適応的である」と名指しする作業は、ある意味で「自分の長年の生き方を否定する」側面を含みます。
私の場合、「過去の出来事は因果的な帰結であり、他の実現可能性はなかった」という世界観(決定論と自由意志——両立論 で整理)を前提にしているためか、この作業に対する反発心はほとんど生じずに実行できています。
次の論点
メインスキーマから派生するサブスキーマを、道徳(狭義)系と道徳(広義)系に分けて扱います。次の記事 道徳(狭義)系:嫌われ禁止・迷惑禁止・責任無限化 では、他者との関係における善悪規範に関わる 3 つのサブスキーマを整理します。